地震のこと

先日も書いたように、私は当日都内某所(学校)で勤務していました。
その日やらなければならないことを14時ぐらいまでに終え、ポメラで自分の仕事をしていたところでした。
最初はゆらゆらと小さく横に揺れ始め、続き部屋にいた人と「あ、地震だ」「揺れてますね」なんて会話をする余裕すらあったのですが、なんとなく嫌な感じがして、ポメラを閉じ自分のカバンに閉まっていたところで揺れがだんだんひどくなり、あわててヒーターの電源を切り、ドアを手で押さえて出入り口を確保。その後はひどい横揺れで立っているのも難しく、あわてて机の下に隠れました(でも揺れが激しくてほとんど身体出てたと思う)。人生で初めて、地震で「わー!!」って叫びました。
地震がおさまったあと、付近の人々と慌ててテレビをつけて状況確認(隣の部屋にはテレビがあったのです)、東北地方での大地震だということがわかりました。
部屋の中は、ぬいぐるみが落下したぐらいで特に被害はなし。少しだけほっとしながらも、一応各自に支給されているヘルメットを確認、手に持っていたところに、2度目の大きい揺れがありました。今度は慌てて外のグラウンドに避難しました。校舎と地面とグラウンドに設置されているライトが別々の方向にぐわんぐわん揺れていて、足が震えそうになりました。
おさまったあとは部屋に戻り、その後は揺れるたびにヘルメットをかぶりつつ、ずっとテレビを見ていました。幸いライフラインは全て通じており、災害用の毛布や食糧などがある場所でしたし、交通機関が麻痺していること、そしてテレビを見ていてすぐに状況が改善しそうにないことがわかりましたので、早々と宿泊する覚悟を決めていました。
旦那を含め、家族への連絡は、携帯やら学校の設置電話やら公衆電話やらを使い、順次取って行きました。遠方の友人も心配して連絡をくれたりしました。
テレビを見てわーわー言っているうちにあっという間に夜になって、ちょっとしたパンやら他の職員からの差し入れやらを食べ、ソファに横になって寝ました。神経がたかぶっているもんでなかなか寝付けなかったし、2・3時間眠れて目が覚めた後は寒さでもう眠れませんでした。災害用の毛布1枚では足りないですね。下に1枚敷いて、上に2枚かけないと(生徒はそのように支給されたよう)。
午前4時前に緊急地震速報(長野の地震)が鳴り、大音量と恐怖で飛び起きて、またテレビにくぎ付け。でも都内の電車は地下鉄をはじめとしてだいぶ動いていたので、しばらくしてそこを出て地下鉄の駅まで20分以上歩き、そこから本数少ない列車を乗り継いで帰宅しました。
旦那が11日の夜に職場から2時間半かけて歩いて帰宅していたので少しだけ状況はわかっていたのですが、自宅はルピシアのハンディクーラーが割れたり、しょうゆがこぼれていたり、プラモデルは落下していたりと、家具が散乱していました(ある程度旦那が片付けてくれていた)。
12日は、私は休みだったので、その後も職場から持って帰ってきたヘルメットを横に置き、とりあえず逃げられるような荷物をまとめて、テレビをずーっと見ていました。
地震後2日ぐらいは5〜10分に1回震度1や2、時にはもっと大きい余震が来て、なんだかいつも酔っているような気分でした。今日になってもわりと揺れますね。いつも身体がふわふわしている気がします。

近所のコンビニやスーパーはことごとく物がなく、不安です。計画停電のこともあり、常温で食べられるパン、簡単に調理できるカップめんはすっからかん。工場が稼働していないのか、運ぶ手段がとどこおっているのか、新たな搬入もないようです。
計画停電の影響で交通機関も乱れに乱れていますね。私はたまたま休みが多い期間に入り、あまり影響を受けずにすんでいますが、もちろん仕事に行く日もあるし予定もあるのでどうなるのやら。旦那は今日自転車で出勤しました。私は自転車で行ける距離ではないんですよね…。

そして、ここ2日は、基本暖房をつけず毛布ぐるぐる巻きで、最小限の電気で過ごしています。節電すると計画停電が回避できるっていうのは、なんだか達成感があっていいですね。でも無計画停電は確かに混乱するし影響が大きいので、輪番がきっちり決まると動きやすくなりますね。

こんな体験は初めてでした。皆さんも初めてですよね。大変でしたね。今も大変だと思います。
被災地の皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
一人でも多くの方が無事でありますよう願っております。